カテゴリ: 就職活動

医師のTatsuyaです。

アメリカで医者をやるには、レジデント(研修医)として、アメリカの就職プロセス(マッチング)に参加するのが王道だ。それ以外にも、研究留学や、フェローシップ(専門科研修)というのもあるが、僕の現状からすると、レジデントとして渡米するのが一番合っている。

医者は一般的なサラリーマンのように、自分の勤め先の海外支部に転勤する、といったようなことは基本的にない。唯一あるのは、日本の大学病院の医者が、研究目的に留学すること。医者で「アメリカ留学したことがある」という人のほとんどがこのパターンである。アメリカで「医者として働きたい」のであれば、アメリカ人と同列に就職活動を行うしかないのだ。

僕は2017年度のアメリカ就職を目指して、現在参加中である。このアプライのプロセスを経て、いろいろと新しく情報を得たので、ここでシェアさせていただこう。
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プログラムの探し方
まずはMatch A Residentなどに代表されるプログラム検索サイトを使って、自分の希望にあったレジデンシープログラムを探す。希望科、病院の場所、USMLEの各スコア、Visaの必要性の有無、卒後何年、といった情報を入力すると、自分のスペックに合ったプログラムのリストが出てくる。各プログラムの紹介コーナーには、実際にそのプログラムの面接に呼ばれた人の、スコアや外国人の割合、面接の感想などが載っている。とても有用なサイトである。ちなみに有料である。


書類選考
プログラム側が最初に目を通すのは、候補者の書類上のデータである。人気プログラムでは3000−5000件もの申し込みがあり、そのほとんどを事務員のネーちゃんがUSMLEスコアなどの定量可能な基準でスクリーニングし、相当数を排除するのが一般的なようだ。その中から、有力な候補者にのみ、プログラムディレクター(医者)が目を通し、面談のオファーを候補者へ送る。この流れからわかるように、自分の書類上のスペックを上げるのは極めて重要なのだ。ざっと振り返ってみよう。

USMLEスコア
USMLE(米国医師国家試験)のスコア。上記の通り、これはどちらかというと足切りに使われる。一番重要なのがSTEP1で、競争率の高いプログラムに行くためには240-250点ぐらい必要。多くの内科系プログラムでは、足切りで使われるのは210-220ぐらいが多いようだ。なお「一回目の受験で合格する」というのも要件にしているプログラムがほとんどである。

推薦状
3通以上必要。1通は「自分が現在所属している病院の部長から」と指定されていることが多い。日本で医者をやっている場合は、上司は当然日本人になる。普通の日本人に、推薦状を英語で書く能力はないので、自分でドラフトを書き、サインしてもらうのが現実的だろう。

残りは、アメリカ人医師に書いてもらう。推薦状は「アメリカで働く準備ができている事を第三者に証明してもらう」ことが目的なので、ただの見学では推薦状は書いてもらいないことが多いらしい。そこで、エクスターンシップや交換留学、米軍病院などを通じて、実際に「部下」として働き、自分を評価してもらうというプロセスが必要となる。

僕はアメリカで数週間エクスターンシップをしたので、その際のアテンディング(研修を終え、独立して医療ができる医者)2人にそれぞれ依頼した。そのドクターはどちらもかなり若く、推薦状としてどのぐらいの価値があるのかは正直不明である。なお、マッチングを控えたアメリカの医学部4年生に推薦状に関して話を聞いてみたが、主に4年生の病院実習の際に付いたアテンディングに依頼することが多いとのことであった。

Personal Statement志望理由書
これに関しては多くの情報が出回っているし、内容は各個人でバラバラなので、それぞれ頑張ってほしい。重要なのは、ネイティブによる査読(特に、マッチングで面接をするレベルの医師)と、字数を650Wordsぐらいに抑えることである。アメリカ人のとあるプログラムディレクターから言われたのは、先方が一つのPSを読む時間は45−60秒と短時間であり、あまりに長いものは嫌われる、ということであった。

アメリカ病院での臨床経験
Mach A Residentでざっと見た感じ、これを要求しているプログラムはそれほど多くないが、求めている場合は3ヶ月−1年という期間が多かった。日本人の場合は、短期のエクスターンシップを何回も行うか、米軍病院で1年間のインターンシップを行うしかないだろう。


外国人の定義とは何か
ところで、アメリカの外国人の受け入れの姿勢はどうなのだろうか。アメリカのマッチングに関して統計結果が公表されている。それによると、IMG(international medical graduate)は全体の1/4ほども居るとのことで、ほぼ100%日本人しかいない日本の病院と比較すると相当多いように感じる。

しかし最近わかったのだが、「アメリカ人で、アメリカ国外のメディカルスクールを卒業した人もIMGとしてカウントされる」らしい。アメリカ国内のメディカルスクールの倍率はかなり高く、学費も高い。そこで一部のアメリカ人はカリブ海あたりのメディカルスクールに入学し、IMGとしてアメリカに戻ってくるとのことだ。当たり前だが、こういう人は英語はペラペラで、アメリカ国内でのコネクションも相当持っているので、日本人みたいに英語も苦手でコネもない、みたいな雑魚民族とは同列に語れない。

余談だが、世界一医師を輩出している国は、インドである。単純に人口が多いことと、医療は基本的に英語で行なわれているということが彼らの強みだ。アメリカとインドの医者の懐事情は数十倍の差があり、インドからアメリカを志す人はかなり多い。言語は違うが、同様な理由で中国人も非常に多い。


さて、僕のスペック
以下のように、マッチングで非常に不利な条件が揃っている。
-Visaが必要な外国人である
-USMLE(米国医師国家試験)の点数が低い(210ぐらいで平均以下)
-USMLE STEP2CSに現段階で合格していない

逆に強み(と言えるかは微妙だが)は
-内科希望なので、門戸が広め
-アメリカでの臨床経験が1年以上ある
-帰国子女なので、英語は比較的マシ
ぐらいだろうか。

なかなか厳しい戦いである。
Match A Residentでプログラムを絞り、とりあえず80プログラムほどアプライしてみた。
ちなみに、願書を提出するだけで16万ぐらいかかった。

医師のTatsuyaです。

先日、1ヶ月に渡る壮絶なアメリカ修行から無事帰国した。アメリカへ行くために成田空港から飛行機に乗ったわけだが、なんと飛行機に乗り遅れるという愚を犯した。今回はそのことに関して記そうと思う。

僕は飛行機には比較的よく乗る方だが、最近は国内線ばかり乗っていた。国内線であれば、飛行機の出発時刻の30分ぐらい前に空港に着けば余裕で間に合う。今回、国際線に乗るのは2年ぶりぐらいで、「1時間ぐらい前に空港につけばいいか」と思って電車に乗ってしまった。思い返せば、この段階ですでに破滅の沼に足を突っ込んでいた。

結果、少々電車が遅れて、成田空港に着いたのは出発の50分ぐらい前であった。これなら何とか間に合うだろうと思ってチェックインの機会を操作した。そこで衝撃の事実。なんとESTA(アメリカに入国する際に必要なビザみたいなやつ。2年で期限が切れる)が期限切れになっていたのだ!ESTAがないとチェックインできないようで、窮地に立たされた。

仕方ないのでその場でパソコンを開き、ESTAの再取得を開始した。しかし、この作業が思いの外に時間がかかり、終わったのは出発時間の20分前。そして再度チェックインをしようと機会の操作を開始。震える指でボタンを押していたら、「取り扱いを終了しました」との画面が表示された。絶望的である。

半泣きになりながら、カウンターに行ってお姉さんに相談してみた。もじもじしている僕をゴミクズでも眺めるような目で見ながら「無理です。次の飛行機を探してください」と言い放つお姉さん。「この便は明日も明後日も満席ですね。払い戻しもできませんので、航空会社に自分で電話してください」とトドメを刺された。
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もうどうしようもない。予定の飛行機は木曜日着だったのだが、実際の仕事は週明けからだったので、まあ数日遅れても良いか、と現実的な方策を練っていた。航空券は往復20万。帰りの便は良いとしても、追加で10万弱はかかるだろう。全くの無駄である。収入が少ない僕の勉強代としては、高すぎる金額だ。



その後、転機が訪れる。その場で立ちつくしていたら、ゴミクズお姉さんの先輩みたいなのが現れて、二人で何やら電話やパソコンの操作をし始めた。しばらくしたらお姉さんが明るい表情で「もしかしたら1時間後に出る別のルートで行く便に空席が出るかもしれません。待ってみますか?」とのこと。 何という急展開。まさに渡りに船である。「でも空席が出ない可能性高いです。そうなったら諦めてください。〇〇番カウンターでお待ち下さい」と言われた。

他に手もないので、言われた通り、目的のカウンターを探す。空港の隅に、何やら人だかりができており、どうやらそこが目的地らしい。そこにいる人がどうも変で、外国人、それも身なりの悪い奴らばかりある。しばらくして分かったのだが、そこは映画のターミナルみたいに、帰国ができない外国人が大量にたむろしている空間のようであった。近くにいた黒人に話を聞いてみると、なんと3日間も空港にいるらしい。

その中でおとなしくしていると、「〇〇へ変更のTatsuyaさーん」と呼ばれた。周りの外国人どもをかき分け、なんとかカウンターへ。「無事席を押さえられました。出発まで30分ぐらいしかないので、急いでゲートへ向かってください」。・・・よかった。黒人さんも一緒に喜んでくれた。

そうして無事飛行機に乗り込み、目的地に着くことができた。めでたしめでたしと言いたいところだが、お姉さんにも多大な迷惑をかけてしまい、猛省せねばなるまい。今回の失敗が大惨事にならなかったのは、ひとえに僕がラッキーであったというだけで、特にみなさんにシェアできる有益な知識はない。

Take Home Messageとしては国際便は2時間前には空港に着くように心がけましょう、という当たり前の事実だけである。どうか賢明なみなさんは、僕みたいな間抜けな体験はしないよう気をつけてほしい。
 
Have a nice flight!

4年目商社マンの開司だ。


1. 赤字決算なのに就活生に総合商社が人気な理由
先期の総合商社、特に三菱商事・三井物産の決算発表は惨憺たるものであった。三菱商事が▲1,500億円、三井物産が▲800億円と、両社とも明治時代に会社が設立されてから、初の赤字決算となってしまった。我々商社マンのボーナスもガクリと減り、多くの社員のやる気も削がれる結果となった。

斯様な状況にあるのにもかかわらず、これら赤字企業を志望される学生が非常に多いのは驚きだ。楽天「みんなの就活日記」が発表する就職人気企業ランキングでも、伊藤忠商事が3位にランクインし、その他も三菱商事18位、丸紅27位、三井物産35位、住友商事49位とベスト50までに五大商社が収まっている。
(出典:「みんなの就職活動日記 新卒就職人気企業ランキング」)

現在、総合商社に勤める私だが、OB訪問してくる学生に会う機会も多く、商社人気は一向に衰える気配はない。学生が商社を志す理由を聞いてみると、給料が高い、潰れはしないだろうと言う安心感、大規模事業、海外事業、といったキーワードをよく耳にする。

しかし、実際の理由としては「海外(ってカッコいい)」「大規模事業(って面白そう)」 「給料が高い(からモテそう)」なんてところが本音ではないか。話の内容が薄い学生は、大体同じような印象を受ける。
「チームで大規模事業を、リーダーシップをとって海外で実現したい!自分は短期留学経験もあって〇〇みたいな事がカルチャーショックで、そういった環境でビジネスを作りたいです!」 
果たしてこんな浅薄な輩が、商社に内定を取れるのだろうか。即ち、商社に「ほしい!」と思われる人材足りうるのか。それを語る前に、まず自分の紹介から始めさせていただく。
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2. 開司の場合

(1) 学生時代の開司
ここで私、開司の自己紹介をしよう。

私は高校時代までは、家に引きこもってゲームとギターに明け暮れていた。もちろん成績順位はケツから数えたほうが早く、赤点スレスレでギリ進級できていたという状況だった。相方の医者とは違い、かなりの落ちこぼれキャラだった。

当時の私はプロミュージシャンになるべく東京に出たいと考えていたので、なんとかして上京できる方法は無いか考えていた。最終的に、親に東京に行くまでのお金を援助してもらうため東京の大学に入学するしかない、という結論に達した。そして高校卒業後、受験勉強を始めた(当時の成績の評定平均は2.8、偏差値50未満)。

その1年後、第一志望だった慶應大学に受かった。上京し、早速東京のミュージックシーンに挑んだ。田舎では自信満々で、その界隈では最も上手い自信が有ったが、大甘だった。東京の本物のミュージシャンの競争力に圧倒され、打ちひしがれた。そしてそのまま逃げ出し、結局遊んで暮らしていた。また落ちこぼれに逆戻りかと思ったが、あっという間に大学3年生を迎えてしまった。

ある日、当時付き合っていた意識高い系彼女に、行きたくもない就活の合同説明会(外資企業のみ)に付き合わされることになった。やれやれ、ジーンズとパーカーでも着ていくか。そうしてのこのこ出かけて行ったのが、私の就活の始まりだった。

(2) 就活時代の開司
大学3年次の5月に始まった就活。そこで私は開眼する。プロミュージシャンの夢から就活に本格的に切り替える事案があったのだ。それはある外資企業の市場シェアを奪ってやった、というプレゼンを聞いた時。つまり市場を変えたのだと。

私がミュージシャンになってやりたかったのは、今の業界を変えること。即ち市場を変えることだったのだ。ビジネスの世界に飛び込むことこそ、自分がやりたいことを叶えられると思うようになった。パーカー・ジーンズからスーツに姿を変えた。そして「就活の軸」を以下の3つに設定した。

①自由に働く
②面白い人と働く
③楽しく働く

とにかく自分で将来、音楽業界を変えるビジネスを作る。ひいては起業する。そのためにこの3つを軸とした。それ以外は一切興味なし。就活時の企業・業界研究は蚊ほどもしなかった。

一般的な就活生とは全く異なったメンタリティーであったが、どうやらこれが功を奏し、「面白い発想をする!」と、とある総合商社から内定をもらった。海外なんて何年も住んでいたので、海外で仕事するなんて全く興味が無かった。総合商社なんて蹴ってやろうと思っていたが、自分の話を最もよく聞いてくれていたのが今の会社であることは間違いなかった。

(3) 今の開司
結局自分はその総合商社から内定を受理、就職した。今は4年目である。商社なんて全然興味が無かったので、入社して初めて、何をしている会社なのかを知ることになった。今はインフラ関連で新規ベンチャー投資案件を探している。


最後に. 会社の都合は関係ない
よくOB訪問に来る学生に言う言葉がある。

就活の時に会社の都合なんか気にするな!
自分自身が何をしたいかがなければ何も始まらないんだぞ!


よく考えて欲しいが、面接という試験形態をとっている以上、自分が採用されるか否かは、面接官との会話によって決まる。話題は面接官が振ってくれるものの「自分が何者で、何をしたいのか」そういうメインコンテンツが曖昧なままでは、面接官の心に響く候補者にはなりえない。

自分自身が何を成し遂げたいか、ということを考えることが一番重要なのだ。そしてそれは、総合商社では入社してからも、上司に問われ続ける。その様な、自分のコアに関わる問いにぶち当たった時、会社の都合ばかりを気にしていては、何も新しい物は生まれない。会社としても、そんなことを望んでいないのだ。 


情報収集に励む前に、自分が何をしたいか、自分に聞いてみてほしい。
ラーメンとかミサイルの話は、その後だ。 

臨床医としてアメリカに行くには、まず資格( USMLE STEP1,2CK, 2CSの3つ)を取得し、英語力を高め、アメリカ人による推薦状を手に入れる必要がある。

それを一つ一つ確認してみよう。

USMLEの勉強に関して
STEP1は内容がかなり基礎寄りで、実際に働いてからもほとんど覚える事のない知識ばかりなので、基本的には暇な学生の時に受けるべきだろう。そして初期研修が開始してしまうとまとまった時間を確保するのは難しく、何より初期研修に身が入らなくなるので、余りオススメしない(ちなみに僕はこのパターン)。学生中にSTEP1さえ取れれば、STEP2CKに関しては比較的とっつきやすいので、だいぶ気が楽になる。勉強法は決まってるので割愛。

一つだけ言えるとしたら、NBMEの模試はちゃんと受けましょう。一回50ドルもするが。僕はこれを受けずに本番に突撃し玉砕しました。
 
そしてSTEP2CSだが、希望する受験日がかなり早い段階で埋まってしまうことに注意していただきたい。おおよそだが、現時点から半年先までは埋まってしまっていると考えて欲しい。ちなみに日時の変更は比較的自由にできるので申し込みは早めに行っておこう。僕は今年の7月の受験を希望して4月に申し込んだが既に埋まっていて、9月の受験を予定している。 


初期研修に関して
日本で初期研修を終えずにアメリカ行くことはお勧めできない。なぜなら「臨床研修修了書」というものがないと、国内で一人前の医師として認められないからである。なので日本に帰らない覚悟がない限りは、2年間は日本の研修指定病院にて初期研修を行うこととする。 

研修病院を選ぶ際の注意点として、初期研修を終えた今の僕だから指摘できることがある。それは、初期研修でどんなにハードで為になる研修を行っても、全くアメリカへの就職には有利にならないという身も蓋もない事実である。アメリカ側が我々を評価する情報源は、書類や成績と言ったデータでしかなく、我々の医師としてのポテンシャルは全く顧みられない。なので初期研修でハードで実りある日々を送ろうが、上級医のいいなりで9時-5時で帰ろうが、全然影響ない。 
 
もしプラスに働く要素があるとしたら、それはアメリカにチャレンジしたことがある同僚や先輩が在籍しており、そういった特殊な就職活動へのアドバイスをもらえるという点のみだ。そういった観点で探して意味がありそうな病院としては、手稲渓仁会病院、亀田総合病院、聖路加国際病院、東京ベイ医療センターなどが挙げられる。俗にいう「人気研修病院」である。

逆にそれ以外であれば、大学病院の方が都合は良い。アメリカでは市中病院よりも大学病院の方が人気で優秀な人が集まるため、評価が良くなる。そして何より暇なので、留学やUSMLE対策がしやすくなる。


英語
軽視されがちだと感じるのは、「英語力そのもの」である。当たり前だが、医師という仕事にコミュニケーションはつきものであり、英語を使えこなせないとアメリカで働くのは難しい。アメリカにいてから英語は勉強したらいいや、というのは通用せず、面接で落とされてしまう。 
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タイムライン
学生中や初期研修医中にUSMLEを1つも取得できない場合
米軍病院在籍中にUSMLE1,2CK,2CS,TOEFLを一気に取得することを目指す。この場合は初期研修2年+米軍1年+マッチング1年で、最速で医師5年目としてアメリカに飛ぶこととなる。 

USMLEをちょっと受かっている場合
米軍病院の最初の数カ月でSTEP2CK,CS,推薦状をゲットし、米軍病院在籍中にマッチングを行うことを目指す。マッチングは9月15日開始ではあるが、USMLEの結果が受験をしてから1ヶ月後ぐらいしか出ないことを考えると、4−8月の4ヶ月しか準備期間はない。初期研修2年と米軍病院(+マッチング)1年の計3年が必要で、医師4年目としてアメリカの医療シーンに潜り込むことができる。
 
全て揃っている場合 
逆に言えば、USMLEと推薦状を研修医2年目の9月までに用意できれば、米軍病院に行く必要はなく、その年にマッチングに参加できる。この場合は医師三年目からアメリカとなる。かなり無理ゲーだが、実際に知り合いでこのパターンで渡米を実現している人もいる。

その他
それ以外のキャリアの人は「米軍病院1年間+マッチング半年」 が最低でも必要である。2年の準備期間を見込めば良い。
 

アメリカ人との比較
日本の医学部は6年間であり、現役18歳で入学しても卒業時は24歳だ。初期研修2年と米軍病院が1年かかり、スムーズにいっても28歳になる年にアメリカに乗り込むこととなる。イチローがメジャーに挑戦したのは27歳だが、それよりも一年ビハインドである。

ところで、アメリカの学生は大学4年間+メディカルスクール4年間の計8年間大学に行くので、レジデンシーを始めるのは最速でも27歳になる年である。日本からでもわずか1年遅れでいけると思えば、そんなに劣等感を感じる必要もないかもしれない。


それでは、新大陸を目指す勇者たちに幸あれ! 

僕はアメリカで医師として働くことを目標としている。

お医者さんがよく言う「アメリカに留学していた」というのは、主に研究で留学していただけであることが多く、実際に医師としてアメリカ働いた経験のある人は極めて限られている。なぜならアメリカで医師として働くのは、めちゃくちゃハードルが高いからである。アメリカ医師国家試験の取得は当然として、さらに厳しい就職活動をクリアする必要がある。

アメリカの医療シーンに突入する上で重要視されるのが、アメリカ人医師による推薦状である。日本で有名な医師でも、アメリカでは無名なことがほとんどである。強力な推薦状とは、高名なアメリカ人医師の元で一定期間パフォーマンスを見せ、自分をよく知ってもらった上で書いてもらった手紙を指す。

これを手に入れるには、実際にアメリカの病院でしばらく実習(エクスターンシップ)を行う必要がある。問題は、日本に働いているだけではなかなか実習先となる病院が見つからない事だ。なおアメリカの医学生は、当然アメリカの病院で研修しているため、推薦状を手に入れるのは容易い。アメリカがコネ社会と言われる所以だ。

だが、望みはある。日本でも、アメリカの病院へエクスターンシップの斡旋をしている団体が幾つかあるのだ。その中で、もっとも有名なものの一つが、今回紹介する野口医学研究所による留学生派遣である。 
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行き先はハワイ大学と、フィラデルフィアにあるトーマス・ジュファーソン大学の二つである。派遣方法には二つあり、一つが医学生として派遣される見学主体の内容。もう一つが医師免許取得者を対象とした、エクスターンシップとしての派遣である。 


以下に、応募の大まかな流れを記そう。

まずは10月末までに応募書類を送る。 送る書類は、おきまりの志望理由書Personal Statementと、履歴書Curriculum Vitaeの二つである(その他にも幾つかあったが忘れた)。前回の沖縄海軍病院の紹介にも書いたが、このPSというものは、留学から就職活動まで、ほとんど全ての応募で必要となる。そして一度書いてしまえば、ほとんどをコピペで済まし、追加で「今回のプログラムの特にここに興味が・・・」といったその企画ごとの記載を追加するだけで、出来上がるようになる。本気でアメリカを目指す人は、とりあえず一回書き上げることをお勧めする。

さて、書類選考を通過したら、いよいよ面接である。
選考会は、11月下旬の虎ノ門にて行われる。
僕が参加したときの選考会は、グループディスカッションであった。

一つの症例について候補者同士が互いにディスカッションを交わし、その様子を審査員が評価する。ディスカッションした内容をプレゼンする機会はなく、議論して終わりであった。沖縄海軍病院の就職面接も同様のグループディスカッションであったが、最後にはグループ内で議論したことを全体にプレゼンする必要があった。その点野口医学研究所の選考会の方が、敷居が低いと言えるだろう。今年度は個人面接は無く、このグループディスカッションのみで選考は終了した。 

当然、選考会は午前中には終わってしまった。そこで、昼は他の受験生とともに外に食べにいった。他の受験生は当然ライバルでもあるが、アメリカを志すかけがえのない仲間である。彼らとの情報交換はとても刺激になる。

午後は、去年派遣された人の報告会や、先方の大学の偉い人によるプログラム紹介といった内容であった。

さて、ここで大事なことを記すが、講演やレクチャーの際、質問するのは超重要である。こういったイベントでは「選考会以外の時間は特に評価の対象にはなりません」と言われることが多いが、これは全くの嘘であることを肝に銘じよう。選考委員と同じ空間にいる間は全ての行動が評価されていると考えたほうが良い。

日本人は、レクチャーと聞くとおとなしくニコニコ座っていれば良いと考えている人が多いが、アメリカ人には通用しない。常に質問やツッコミを考えながら耳を傾け、積極的に打って出る必要がある。

終了は17時。 その後には軽食パーティーがあった。無論、パーティーの際に選考委員と談笑しにいくのは基本のキである。


・・・以上が、野口医学研究所主催の選考会の全容である。 

合格のポイントは何か。グループディスカッションの時間は1時間しかない。おそらく、CVとPSのみで「留学に本気か否か」が概ね判断されているのだろう。実際のグループディスカッションの場は、コミュニケーション能力を確認だ。 だとすれば、この選考会では、面接前に勝負がほぼ決していると考えるべきである。


今回の報告が、少しでも同士達の役に立つ事を、願ってやまない。 

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